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シパツウ - C-POWER通信

就労移行支援事業所C-POWER
WorkingSupportドーラ
「良いトコ見つけ」の講義

 

岐阜県多治見市にある「C-POWER WorkingSupport ドーラ」は身体、知的、精神などの
何らかの障害がある18歳から65歳の方が就労を目指して取り組む就労移行支援事業所です。

ドーラ(DOLA)とは、「Design Of Life Academy」の頭文字をとって名付けた事業所で、障害のある方が自分自身のこれからの人生と向き合い、生きるために何を学び、社会の中で
どう自立して生きていくかを考え「自分の人生設計をしていく場」です。

一人ひとりが希望する働き方を一緒に考え、働くために必要な訓練を「共通課題」
「個別課題」「自由課題」に分かれて行います。

希望する働き方や実現までの道のりは、一人ひとり違います。

それぞれのプランに合わせて、必要なことを訓練していきます。

電話応対やパソコン訓練、コミュニケーション能力など、社会に出るために必要な力を
ビジネス基礎としてカリキュラムに準備しています。

一人ひとりの「こんなふうに働きたい」を考え、そのためには何が必要か、今の自分を知り、環境を知り、自分の役割を知ることができるように、毎日の訓練を大切にしています。

ドーラの講義をご紹介いたします。

【良いトコ見つけ】

何気なく過ぎる毎日でも、その日は誰かにとっての大切な記念日です。

一日を大切にする気持ち、1分1秒を大切にする気持ちをもてるようなきっかけになればと
思っています。

この講義は「今日は何の日?」から始まり、いろんなことに興味がもてるようになるための
訓練の一つです。

些細なことに興味をもつことで、会話の引き出しを増やし、雑談力を鍛えていきます。

今回は、「七五三」について学びました。

子どもの健やかな成長を祝い、祈願する七五三は、その名の通り3歳、5歳、7歳で
行われます。

それぞれの年齢の儀式は名称や意味が異なり、男女で儀式をする年齢も異なります。

まずは七五三がいつから、どのような意味を込めて行われていたのか、また3つの
儀式の持つ意味は何かを詳しくみていきましょう。

七五三の由来と儀式に込められた意味

七五三の由来には諸説ありますが、平安時代の頃から宮中で行われていた3つの儀式が
基になっているそうです。

現代に比べて医療の発達が未熟で衛生面もよくなかった昔は、子どもの死亡率がとても高く「7歳までは神のうち(神の子)」として扱われ、7歳になって初人として一人前であると認められていました。

子どもが無事に育つことは大きな喜びであり、親として健やかな成長を願わずにはいられないものでした。

3歳、5歳、7歳の節目に成長を神様に感謝し、お祝いをしたことが七五三の
由来とされており、やがて江戸時代に現在の七五三の原型として武家や商人の間に
広まったといわれています。

それが明治時代には「七五三」と呼ばれて庶民にも広まり、大正時代以降に現在のような形ができあがったとされる説が有力です。

3歳・5歳・7歳を節目とした理由は、暦が中国から伝わった際に奇数は陽、つまり縁起が
いいとされたためで、「3歳で言葉を理解し、5歳で知恵がつき、7歳で乳歯が生え替わる」
という成長の節目の歳のためともいわれています。

なかでも7歳は「神のうち(神の子)」から人間として現世に完全に誕生する大きな祝いの歳と
されていたため、七五三のなかでも7歳の儀式を重視する地方が多かったようです。

七五三は、地域によって独自に発展した側面もあり、少しずつ文化が違う場合もあります。

起源となった儀式は以下の3つです。

3歳の男の子・女の子「髪置きの儀」

平安時代の頃は男女ともに生後7日目に頭髪を剃り、3歳頃までは丸坊主で育てるという風習がありました。

これは頭を清潔に保つことで病気の予防になり、のちに健康な髪が生えてくると信じられて
いたためです。

3歳の春を迎える頃に「髪置きの儀」を行われていたといわれていました。

子どもの健やかな成長や長生きを願い行う「髪置きの儀」は別名を「櫛置き」「髪立て」
ともいい、長寿を祈願するために、白髪を模した白糸や綿白髪を頭上に置いて祝ったとも
伝えられています。

5歳の男の子「袴着(はかまぎ)の儀」

平安時代には5~7歳の頃に、当時の正装である袴を初めて身に付ける
「袴着(はかまぎ)の儀」を執り行いました。

別名「着袴(ちゃっこ)」ともいわれるこの儀式を経て男の子は少年の仲間入りをし、
羽織袴を身に付けたとされています。

当初は男女ともに行っていた儀式でしたが、江戸時代に男の子のみの儀式に変わりました。

儀式はまず天下取りの意味を持つ碁盤の上に立って吉方に向き、縁起がいいとされる
左足から袴を履きます。

また冠をかぶって四方の神を拝んだともいわれており、四方の敵に勝つという
願いが込められています。

現代の皇室でも、男児の儀式として数え5歳の時に「着袴(ちゃっこ)の儀」、
その後に碁盤の上から飛び降りる「深曽木(ふかそぎ)の儀」が続けられています。

この「深曽木(ふかそぎ)の儀」に倣い、碁盤の上から飛び降りる「碁盤の儀」を
七五三詣の時期に開催している神社も全国各地にあります。

7歳の女の子「帯解(おびとき)の儀」

鎌倉時代、着物を着る際に使っていた付け紐をとり、帯を初めて締める成長の儀式が執り行われていました。

これが室町時代に「帯解(おびとき)の儀」として制定され、当初は男女ともに9歳で行われていたとされています。

「帯解(おびとき)の儀」は別名「紐落し」「四つ身祝い」などと呼ばれますが、江戸時代に男児は5歳で「袴着(はかまぎ)の儀」を、女児は7歳で「帯解(おびとき)の儀」の行う形に変わり、この帯解を経て大人の女性へ歩み始めると認められていました。

七五三の参拝はどこに行けばいいの?

七五三の儀式では、子どもの成長を感謝するため神社に参拝に行きます。

一般的にはその土地を守ってくださる神様(氏神様)がいらっしゃる近所の神社へお参りに
行くのがしきたりです。

しかし最近は有名な神社に行くご家族も増えてきています。

もちろん近所の神社に限らず、歴史ある神社や景観の美しい神社、ご家族の思い出のある神社
など、特別な思いのある場所にお参りに行くのもいいでしょう。

 

千歳飴とは

「千歳(ちとせ)」という言葉には「千年」「長い年月」の意味があります。

また、千歳飴の細長い形状や、引っ張るとどこまでも伸ばせる性質から「細く長く」「長寿」が連想され、千歳飴には「細く長く粘り強く、いつまでも健康で長生きしてほしい」という
意味が込められています。

従来は、縁起のよい紅白の飴をセットで包装するのが一般的でしたが、飴作りの技術が
進歩した現在は、伝統的な千歳飴のほか、かわいい絵柄やカラフルな千歳飴も多く販売されています。

長さは1メートル以内、直径は1.5センチメートル以内と決まっており、とても長いのが
特徴です。

浅草・七兵衛の「千年飴」

1つ目は、元禄・宝永期(1688~1711)に江戸・浅草の飴売り七兵衛(しちびょうえ)が、
棒状で紅白の飴を「千年飴」と名付けて売り始めた説です。

「千年」という名前や、おめでたい紅白の見た目から「長生きできる」「縁起がよい」
と評判になりました。

神社の門前で、松竹梅や鶴亀が描かれた長い紙袋に入れて販売していたそうです。

大坂・平野甚左衛門の「千歳飴(せんざいあめ)」

元和元年(1615)、大坂で商売をしていた平野甚右衛門(ひらのじんえもん)が、江戸へ出て浅草寺の境内で飴を売り出したのが始まりという説もあります。

そのころ千歳飴は「せんざいあめ」と呼ばれていました。

後に同じ漢字のまま読み方を変えて「ちとせあめ」になったといわれています。

「長い千歳飴を食べると長生きできる」の売り文句で話題を集めたようです。

自分で買うだけでなく、贈り物としても重宝されました。

 

平安時代に行われていた「髪置きの儀」「髪置きの儀」「袴着の儀」という3つの儀式に由来する七五三は、現代でも子どもの健やかな成長をお祝いするおめでたい行事として根強く
残っています。